日本美術院百年史

昨世紀末ごろ、『日本美術院百年史』第某巻の資料を探しにUSAに行った。
1週間ほどワシントンDCに滞在した。
僕は6~8歳時、ロサンジェルスの小学校に通っていた。
その頃の記憶が刺激された。
ワシントンにも、ロスで嗅いだ匂いの草があったのだ。

セヴンナップ、ルートビアなども30年以上ぶりに飲んだ。
ホテルでは毎日バドワイザーを呑んでいた。
同行した先輩編集者が野武士のような無頼漢で豪傑で、東京の銀座で酩酊するのと同じ乗りでワシントンでも酩酊する紳士だった。
一週間滞在中のある日、夕食後、酩酊した彼をタクシーに乗せてホテルに帰った。
降りるとき、近場にいた黒人たちに「ジェントルメン!」と呼びかけ、泥酔就眠中の先輩豪傑編集者をホテルのエレヴェータまで運んでもらい、謝礼した。
彼を彼の部屋まで運び込み、寝かせて、僕は自分の部屋に戻ったとたん安堵して急に酔魔睡魔に襲われて即爆眠。
翌朝、二人でホテルの食堂で迎えバドを呑んだ。
「朝から酒を飲みたいのだが」と注文すると、身長2メーターのブロンド長髪ウエイトレスが「シュア」と応えた。
その笑顔とハスキーヴォイス。
#1キスを頬にくれた小学校3年時同級生キャサリンを回想した。

↓で触れられているUSA巡回展のパンフレットなどを複写してきた。
大学図書館が深夜でも開いていて利用できた。
国立公文書館にも行った。
第2次世界大戦の資料写真も探す仕事だった。
従軍キャメラマンたちの写真を数百枚は見た。
『科学的・記録的に戦争する連中と戦争なんかするもんじゃない』と思った。
私見では、彼らの戦争マインドは情報公開マインドと軌を一にしている。

http://www.pref.mie.jp/BIJUTSU/HP/event/catalogue/taikan/taikan-sato.htm